オーバーな感情表現

オーバーな感情表現

人は、自分を評価してくれる相手には
心を開くことができるのだ。心を開けば、上司の忠告に耳を貸すことができる。部下の中には、
ほめることで図にのる人もいるが、人の自尊心は基本的に低いので、″図にのる″と
いう心配はない。

 

一方、人が、意欲的に仕事をし、その成果が上がっていれば、直属の上司か否かは別にして、上司に敬愛の念を抱いていることになる。人のユニークでハイセンスな能力が発揮されているのだ。ただしこの場合にも、彼らの仕事の成果を常に評価してあげることが望ましい。

 

複数の部下を競争させて、向上心を促すのは、上司の常套手段だが、人に関しては、ライバルを用意して、レースを行わせようとすると逆効果になりやすい。人は、実力を測られることが嫌いだ。またライバルの方が有利だと嫉妬心から、実力を出すことができなくなる。下手をすると相手を「出し抜こう」と策を労すことになりかねない。彼らは、「この仕事は、ぜひ君にやってほしい」という特別視によって、やる気が湧き起こる。とにかく人は選ばれたいのである。

 

また人は、頻繁にオーバーな感情表現をする。豊かすぎる感受性に周囲が戸惑うこともある。こうした場合に、できればそれを指摘しない方が得策だ。彼らにとって大げさな表現やドラマチックなイメージは、自分の低い自尊心を補うためのものだから、「何をオーバーな」と一笑に付したり、非難すると、彼らは反感を感じたり、傷ついたりする。賢明な上司は、人の自尊心のメンテナンスに心を配る。そして彼らのもつ特殊な能力に目を向け、それを生かすように職場でのポジションを按配する。敬愛すべき上司の下にいる人は、物質的、地位的見返りがなくても、満足感を感じながら、自分の能力を独創的に活用することに専念することになるだろう。


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